First written: 24-04-25
Translated: 24-06-09
Uploaded: 25-03-16
Last modified: 25-03-16
「第一次世界大戦の後、私はこう言った。「主権者は非常事態を決定できる者である。」 第二次世界大戦が終わり、私の死が近づいた今、私はこう言います。主権者は空間の波動に対する処分権を持つ者である。」
- カール・シュミットCarl Schmitt
(ハン・ビョンチョル、「群衆の中で」、『今日、革命はなぜ不可能なのか』70pより再引用)
ハン・ビョンチョルによると、法学者カール・シュミットは、メディアを利用した統治方式を見据え、主権者を「空間の波動に対する処分権」を持つ者と定義した。簡単に解釈すると、「波動」とはメディアを送出する信号であり、「処分権」はメディアを自在に操ることができる力であろう。カール・シュミットは「波動」に対する恐怖のため、自分の家からラジオとテレビを捨てた。
世界中の数多くの人々がユーチューブショーツを楽しんでいる今日、カール・シュミットと同じ恐怖を持つ人は少ないだろう。ところで、カール・シュミットについての文を読んでいると、私の似たような経験を思い出した。
私は音楽と一緒に出かけるのが好きだった。空気から春の匂いがするときに出かけると聞く音楽があった。冬の香りがするときに聴く音楽があった。出かけたときに特定の気分になったときにかける音楽があった。 特定なムードが私と一緒でなくても、その時期によく聴く音楽と一緒に出かけることを楽しんだ。
ところが、こんなことがあった。ある日は、きっと気分よく出かけたのに、悲しい曲を聴きながら約束の場所に行くと、いつの間にか気分が落ち込んでいた。ある日は、あるテーマについて考えながら約束の場所に向かっていた。 そのテーマについて特に自分の立場があるわけでもなかったのに、聴いていた曲がたまたま怒りに満ちたラップだったので、 私はいつの間にかそのテーマについて片側に立って反対側を攻撃する人になっていた。
いつしかそういう経験に目が向くようになり、音楽という「波動」が自分に与える影響について考えるようになった。意図せず感情が揺さぶられるのが嫌になった。自然な流れとして、外出時に音楽を聴くことがほとんどなくなった。最近は、特定の感情に揺さぶられたまま文章を書きたいときや、時間を過ごしたいとき、あるいは歌いたい曲があるときに音楽を聴くようになった。
ほぼ百歳まで生きたカール・シュミットおじいちゃんは、mp3プレーヤーやユーチューブミュージックについてどう思っていたのだろうか?パソコンやスマートフォンについては? ハン・ビョンチョルは同じ本でこう言っている。「もし(デジタル通信網を)経験していたら、彼は間違いなく総体的な危機に陥ったに違いない」(同書、69p) 私は、もしシュミットおじいさんが生きていたら、あまり大きな恐怖に陥らないでほしいと思った。
(2024. 4. 25)
参考文献:
한병철, 2024, 김영사, 『오늘날 혁명은 왜 불가능한가』
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